こんにちは!

 

 

うまいですね~拍手

 

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こんな投稿が・・・

 

定年退職後の〇〇教授に週一回来ていただいているのですが
人気が出ず、バイト代は目ん玉飛び出る位で、毎回赤字です。
患者に〇〇先生に一度診てもらってください、元教授です
と説明しても、そんなの関係ねえと言われてしまって・・

 

定年退官後教授あるあるです。プンプン

 

さて

 

 

GW明け「5月病退職者」急増の医療業界…Z世代新入職員の“普通”に戸惑っても、先輩が「言ってはいけない」ひと言【大学教授が解説】(THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン)) - Yahoo!ニュース

 

なかなか難しい問題ですね。ショボーン

 

今回は、医師が患者にいってはいけない言葉について。上差し

 

医師にとって、患者は多くの患者の一人かもしれませんが、患者にとって医師は一人

 

ので、受診時に医師が何を話したかは長く覚えているものです。それだけに、医師

 

は言葉を慎重に選ばなければなりません。もっとも、こんな言葉はいってはいけない

 

というふうに、明確に類型化することは困難です。なぜならどんな言葉も、それがど

 

ういう意味を持つかは、対人関係の中で決まるからです。一見乱暴な言葉でも、医師

 

と患者の関係次第では患者に受け入れられるということはあるということです。それ

 

でも、何の指針もなければ、患者にどんな言葉をかけていいのかわからないという人

 

もいるでしょう。まずは比較的わかりやすいところから、どういうことを念頭に置い

 

て患者に声をかけ、その際、どんなことをいってはいけないか考えてみましょう。

自分の言葉が相手にどう受け止められるかを意識する

アドラーが、ヤスデに出会ったひきがえるの話を引用しています(『子どもの教

 

育』)。あなたは千ある足のうち、どれを最初に動かすのですか。どんな順序で後の

 

九百九十九の足を動かすのか教えていただけませんか?
 

ヤスデはひきがえるからそう問われて、自分の足の動きを観察し始めました。する

 

と、ヤスデはそれまで難なく千本の足を動かしていたのに、たちまち混乱し、一歩も

 

前に進めなくなってしまいました。このように、自分が発する言葉が患者にどのよう

 

に受け止められるかを意識し始めると、このヤスデのようになってしまうかもしれま

 

せん。しかし、自分の言葉が相手にどう受け止められるかを少しも考えずに言葉を発

 

していたことに気がつかなければ、患者への言葉がけを変えることはできません。ま

 

ず、特定の相手との関係の中でしか通用しない言葉は避けた方が賢明でしょう。

 

た、どんな患者もよくなりたいと思って受診するのですから、よくなろうとする患者

 

の勇気を挫くような言葉は避けなければなりません。治療を拒む患者も、今の状態の

 

改善を望んでいないわけではありません。よくなりたくない人はいません。たとえ治

 

癒が困難であるのが事実だとしても、決して治らないというようなことをいうべきで

 

はありません。そのようなことを患者に直接いわないとしても、そう思っていること

 

は医師の態度に如実に現れるので、患者の勇気を挫くことになります。治らないとは

 

いわないまでも、なぜもっと早く受診しなかったのということも避けるべきでしょ


う。患者も当然そうすべきだったと思っているのですから、過去を責めたところでど

 

うしようもありません。これと関連して、前にこんなことをいっていたではないか

 

患者を責めないことが大切です。自分が死ぬとは少しも思ってもいなかった時に延命

 

治療を受けないといっていた患者が、治療の過程で考えを変えることはありえます。

 

先のことを想像するのは容易なことではありません。考えが変わったのであれば、過

 

去を不問にし、これからのことだけを考え、医師は患者が納得できる仕方で治療をし

 

なければなりません。反対に、心配には及ばないとか絶対治るというようなことも、

 

軽々にいうべきではありません。そのような気休めの言葉は、医師と患者との信頼関

 

係を損ねることになります。患者が自分の状態を真摯に受け止められていないように

 

感じるからです。治らないかもしれないと告げなければならないこともあります

 

が、それを患者が受け止められると信頼できなければ、告知をためらうことになりま

 

す。そうならないためには、患者が求めているのは真実であって、根拠のない安心な

 

どではないことを理解し、患者が真実を受け止められるのだと信頼できなければなり

 

ません。その上で、医師が希望を捨てないで治療に臨む姿を見れば、結果的に患者と

 

家族が期待したようにならなくても、起きたことを受け止めることができるでしょ

 

う。

対等な医師患者関係に基づく言葉

 最初に、どんな言葉もそれがどういう意味を持つかは、対人関係の中で決まると書

 

 きました。これは、どんなことを患者にいってはいけないかを考える時に、その基

 

 準となる対人関係のあり方は対等であるということです。この基準に照らせ

 

 ば、医師がどんな言葉を患者にいってはいけないかがわかります。医師と患者は役

 

 割が違うだけで上下はありません。役割がどう違うのかといえば、医師は教師であ

 

 り、患者は生徒です。ただし、教師と生徒という関係から連想されるように、医師

 

 が一方的に教え、患者がそれを受け入れるのであれば、対等な関係とはいえませ

 

 ん。ただ患者より優位に立とうとする医師の持つ権威は非合理なものであり、自分   

 

 の優位が危うくなると思ったら患者を叱りつけることもありえます。教師が持って   

 

 いる権威を、フロムは合理的な権威であるといっています。

 

 合理的な権威を持っている人は、それに従う人が絶えずそれを吟味し批判するのを  

 

 許し、それを要求さえします。医師が患者の質問にきちんと答えられないようであ 

 

 れば、合理的権威を持っているとはいえません。患者が医師の指示通りに服薬しな

 

 かったとしたら、それは教師としての医師の役割を果たせなかったということで

 

 す。医師は適切な指示をしたのに、患者がそれを理解して正しく服薬しなか

 

 ったので、症状が悪化したということではありません。医師の教え方が適切ではな

 

 かったのかもしれませんし、症状が悪化したのは、患者の自己責任ともいえませ

 

 ん。自分の教師としての責任を棚上げにしているのです。治療がうまくいっている

 

 かどうかを評価する時に、患者だけを評価するのは間違いです。専門家としての医

 

 師の知識や技術は治療に有用ですが、治療は医師が一方的にするものではありませ

 

 ん。医師と患者の協力が必要です。この流れで考えると、(一緒に)頑張りましょ

 

 うという言葉は、患者の観点からいえば医師が協力してくれていると思えます。頑  

 

 張ってくださいというと、医師から突き放されたと感じる人がいるかもしれませ

 

 ん。医師は患者と同じ苦しみを経験できるわけではありませんが、伴走してもらっ

 

 ているとは思いたいのです。 検査結果がよくなった時など頑張りましたねとい

 

 われると患者は嬉しいですが、厳密にいうと、医師の協力なしに患者はよくなった

 

 わけではありません。それでも、こういうと患者の努力に焦点が当たります。医師

 

 は私のおかげだなどといってはいけないのです。

 

(アンメットより)

 

以上特に若手医師に言っておきたいことを述べました。

 

では今日はこのへんで・・・パー

 

Ciao!!口笛